【子どもの貧困チーム】 三者インタビュー・前編 

 子どもの貧困チームでは、子どもの貧困に携わる支援者・栗林千恵子さん、貧困の研究者・阿部彩教授、子どもの問題に携わる坪井節子弁護士の三人にインタビューを実施しました。

 

 このブログ記事は三者のインタビューをまとめたものの前編です。

 子どもの貧困の現状と今後司法修習生をはじめとする法曹関係者に求められる姿勢をこのブログを通じて、皆さまと共有できたら幸いです。

 

第1 支援者の視点から

1 現代における子どもの貧困

 現代の貧困で問題とすべきは、その国や地域の水準の中で比較して、大多数よりも貧しい状態を指す「相対的貧困」であると言われています。これは、家がない、食べ物がないという「絶対的貧困」とは異なり、その社会の平均と比較して、貧困を定義する考え方です。

 

 豊島WAKUWAKUネットワークの理事長である栗林千絵子さんは、地域を挙げた子ども支援の第一人者として、子どもの貧困に対する支援も行っています。栗林さんが出会った子どもの中に、「昨日からご飯を食べてない。お腹すいた。」と訴える子どもがいたといいます。経済的に苦しいため、土日も親が働きに出ている家庭の子どもでした。数百円握りしめており、「家にご飯ないの?」と聞くと、親は仕事だから代わりに食費をもらってきたというのです。  

 

 このような子どもの貧困状態について、栗林さんは、「発達期における十分な依存体験によって、人間の基本的信頼感を育むことが、児童の自立を支援する上で基本的重要である」(児童自立支援ハンドブック 厚生労働省児童家庭局家庭福祉課監修)という言葉を引用し、貧困状態の子どもたちが親への十分な依存体験ができないことの問題点を指摘します。

 

 栗林さんによると、経済的に苦しい家庭の子ども達は、裕福な家庭の子ども達が塾や習い事に通っている時間、公園などで過ごすことが多いといいます。このような、貧困によって選択肢が狭められることにより生じる小さい格差は、日々の生活の中で何十回、何百回と積み重ねられることにより、本人の努力では如何ともしがたいような大きな格差を生んでしまうのです。

 

2 支援のあり方  

 貧困状態にある子どもにとって、一番必要なものは「周りに多様な価値観・資源があること」と栗林さんは語ります。    

    

 では、多様な価値観を提供するために支援者はどうあるべきなのでしょうか。

 子どもの支援者の中には,「子どもがかわいい」という気持ちだけでは続けられない現実に直面し、支援の続行が困難となってしまう人もいるといいます。そんな厳しい側面もある子どもの支援者には、何か必要な姿勢があるのではないか。 そう考えて支援者に必要な姿勢とは何かと質問したところ、栗林さんの答えは意外なものでした。

     

「(私は)地域みんなで関わることが大事だと思っているので、かかわるのが下手な人がいても、そこにフォローできる大人がいればそれでいいと思う」

 さらに栗林さんはこう続けました。

「ちょっと間違っちゃったことを言ってしまう大人は世の中にはたくさんいる」

「厳しい人もいるけれども、おおらかに良いところを認めてくれる人もいる」

「色々な人に触れることでお互いを尊重したり、自分を肯定することができる」

「正しい人だけが10人いるよりは,色んな大人がいた方が(子どもは)豊かに育つと思います」  

      

 『子どもの支援者はこうあるべき』という凝り固まった考えこそ、むしろ子どもにとって必要な多様性を否定するものでした。

 子どもにも、大人である支援者にとっても、多様な価値観を知り、お互いを尊重していくことが重要なのだと栗林さんへのインタビューを通じて気づかされました。

 

 

第2 研究者の視点から

 1 貧困に関するデータと統計  

 子どもの貧困について考える際、そもそも「貧困」とはどのような状態のことをいうの? 「貧困」の定義は?と疑問に思われる方がいらっしゃると思います。

 私たちは、「貧困」をどのように捉えればよいのか疑問に思ったので、それについて調査しました。

 

 「貧困」とは、通説では、「社会生活を営むための『必要』を充足する資源が不足・欠如 していること」をいいます。

 貧困であるか分かりやすい指標として、貧困線として設定されている等価可処分所得 1 人世帯だと 127 万円(「2019 年 国民生活基礎調査の概況」・2018 年調査)というものがあります。相対的貧困率の割合を測定するために用いられるこの指標を、ある具体的な個人の所得が下回れば、その人は「貧困」であると考える方もいらっしゃるのではないでしょうか。

 

 また、このような所得に関する指標以外にも様々なデータを用いれば、ある具体的な個人が貧困であるか、極めて正確に判断することができるのではないか、そして、具体的な個人が貧困であるか否かを正確に判別することができれば、より効果的に貧困対策を実施することができるのではないかと思われるのではないでしょうか。

 

 しかし、仮に、貧困を精緻に表現した定義があるとして、その定義にあてはまらない人は「貧困」ではないというべきなのでしょうか。

 上記の「貧困」の定義に基づいて考えると、精緻に定立された基準を僅かでも満たさないから、「その人は貧困でない」というべきではないです。

 

 この点について、私たちがお話をお伺いした東京都立大学の阿部彩教授は、プールに入る 際の検温を例にして説明されました。

 皆さんもご経験があると思いますが、プールに入る際に検温をして、体温が 37 度を超え ていれば、何らかの病気にかかっていると考えて、プールに入ることはやめようと判断します。一方で、体温が 36 度台であれば、健康だろうと考えて、プールに入ろうと判断しますが、絶対に病気にかかっていないと判断したわけではありません。

 いずれの場合においても、プールに入ろうとする人に対して、病気であるかを精密に検査することはなく、「体温が 37 度以上あれば、何らかの病気にかかっているだろう」と推測して、プールに入るか否かを判断しています。アバウトではありますが、「プールに入ることができる状態にあるか」ということを有効に推測しています。

 

 貧困であるかを判断する際も同様に、ある特定人に一定の傾向が見られるのであれば、その人が真に貧困であるか否かを様々な観点から徹底的に調査して判断するまでもなく、貧 困にあると考えることができるでしょう。

 

 ここで、どうして貧困について様々な統計を取るのか疑問に思われる方がいらっしゃると思います。この点について、阿部教授は、「十数年前まで日本社会において貧困があることは全く認識されておらず、そのため必要な政策も立案されていなかった。このような状況を打開して、現在の日本社会において貧困がどのように現れるかを把握するために、様々な統計を取る。」 と仰いました。

 

 このように、貧困を把握するために必要な統計は、現在の日本社会の貧困の傾向を理解するために取られるのであり、ある具体的な個人が「貧困」であるかを正確に識別できるようにするために取っているのではないのです。

 

2 子どもの貧困に関する政策と今後の展望

 日本では、子どもの貧困が注目されて以来、政策が次々と展開されています。 この点について、阿部教授は、教育に対する金銭給付など教育分野については驚くべきスピードで政策が展開しているが、一方で、教育以外の分野については動きが遅いと仰っていました。

 そして、教育分野の政策に関連して、貧困層とそうでない層の大学進学率に著しい差異がある問題について説明されました。

 

 この問題の原因について、阿部教授は、 「学費の高騰だけが原因ではなく、学力格差も原因の一つである。ここで見逃してはならないのは、学力格差が小学校1年生のときから見られることである。」 として、 「義務教育段階での学力格差を小さくする必要があるが、この点に関する政策はまだまだ弱い。」 とされました。また、 「幼少期からの学力格差は、生活費が足りないといった状況によりもたらされることが多い。貧困世帯の子どもは、現に、電気代やガス代が支払えない、借金取りが家に来る、親が鬱で寝込んでしまっている等の事態に直面している。このような状況では子どもが勉強できる環境は整わないし、そもそも、大学への進学を、漠然とではあっても、希望している子どもが『自分は将来大学に行ける。』と思えるようにならない。」と分析され、「このような状況を打開するために必要な生活分野に対する政策は、これまで重視されてこなかった。」と振り返られました。

 

 阿部教授によると、そのような状況は現在のコロナ禍により変化しています。生活分野に対する政策が注目され、生活費へ利用することを目的とした金銭が給付されたからです。ただ、阿部教授は、これはあくまで一時的な措置にすぎないと付け加えられ、「これを機に生活分野に対する支援が注目されることを切に願う。」と仰いました。

 

  

 後編へ続く・・・

 

 

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